ー 神様に祈り続けた、夜。ー

My Only Son(1)

All Words : (C)夏実





それは突然、まるで命のスイッチが切れるようだった。


4才になったばかりの息子の意識が、なくなってしまったのである。

突然、私達の呼び掛けに無反応になり、

上をジッと凝視したまま息もしていない。

その異常な様子にすかさず119とボタンを押していた。

電話を持つ手がガクガク震える。

電話の向こうから

「奥さん、しっかり落ち着いて!はい、場所は?……」

救急隊の方が私を落ち着かせようと懸命に言葉掛けをして下さっていた。

(落ち着く……落ち着かなくちゃ……)

自分自身、心にそう叫び続けていた。

(実際のところは、あまりのショックに今も記憶が所々欠け落ちているのだけれど。)

とにかくまずは落ち着くようにと言われた。

様子を聞かれた……涙ながらに話した……ような気がする。



すぐに救急車が到着。

救急隊員の方が外に待機させている救急車と連絡を取り合いながら

息子を抱きかかえた。

小さな身体は、大きな救急隊員の腕の中に軽々とおさまった。

敏速に私と主人に指示を出し、ついてくるようにと言って飛び出した。

「お母さんは救急車に一緒に乗って!この子に呼びかけて!」


……救急車の、最後部座席があんなに揺れるとは想いもしなかった。

ガクガクしながら、必死にどこかをつかんで、自分を何とか保っていた。

身も、心も。












「ここから一番近くの救急病院だと○○病院になりますが、そこでよろしいですか?」


その言葉に私は思わず叫んでいた。

「やめて下さい!あの病院だけはやめて下さい!」

そう絶叫したように思う。


そこへは、すでにその日の夕方に訪れていたからである。


『小児科』と、大きく看板には書かれてあるのに

窓口で「小児科はありません」と言われた、妙な病院だった。

("時間外"の場合の小児科は無い、ということだったのか。

しかし、市から配布されている子供の休日診療所・救急病院の指定病院には

トップでその病院名が表示されていた。)


「機嫌も悪く無いし、心配ないんじゃないですか。薬も別の病院でもらってるんでしょ。」


まるで気の無いそぶりの医者の言葉に、言葉を飲み込むしかなかった。

40度の高熱を押して出かけた救急病院だったのに、

処置はただ胸のレントゲンを撮って帰されただけだった。



それで、こうなったのだ、

誰がそんな救急病院にもう一度行くと言うだろうか!



……殺されるのがオチだ。



1分1秒を争う場面……私も必死だった。


救急隊員の方はそれではと、 もう一つ別の病院の名前を出してくれた。

そこ以外なら、どこでもいい。

私は大きくうなずいた。


その病院とは全く逆の方向へ、救急車は猛然と走り出した。


私はとにかく叫び続けた。

息子の名前を。



救急車に乗ってから、息子の身体に大きな痙攣が押し寄せた……

熱性痙攣である。


全く意識が回復しないまま、病院に担ぎこまれたのは

忘れもしない……3年前(1999年)の7月11日の夜10時半のことである。














救急処置室のランプがともる。




私は救急カルテに記入を言われるが、自分の住所がまるで書けない……

完全に気が動転してしまっているのだ。


後から車で追いかけてきていた主人が飛び込んで来て、

全てを取りはからってくれた。



その時処置室からICUへと息子が運ばれていった。



看護婦さんから手渡されたはさみで切り裂かれた小さな衣類。

看護婦さんは処置のため切らせていただきました、と謝ってはくれたけれど

今の私にこれを託されると……言葉が無い。


涙が止めどなくあふれてくる。


切り裂かれた小さなその衣類には……

息子の温もりがかすかに残っているようで。













しばらくして……

先生に呼ばれ、ICUの中へ。



全身を氷枕などで包まれ冷やされ、ベッドに横たわる息子。


素っ裸の状態で白いバスタオルのようなものがかけられていた。

細い足にも腕にも点滴がうたれ、様々な器械が身体につけられており、

それは見ていられない程痛々しいものだった。


そして……先生の口から発せられた言葉。


「後遺症は覚悟してください……。

それから……肺炎と喘息と熱性痙攣を併発していて、この治療は一緒にはできないのです。

まず、痙攣を止める薬を使います。それから呼吸の方です。

だから自分で呼吸が出来ないと……

覚悟していただかないといけないかもしれません。

今、脳が頭蓋骨の中でパンパンにはれている状態ですからね……。」



……さっきまで笑っていた息子の何という境遇の変化よ。



たとえ熱が高くても普段と全く変わりなくふるまう息子の、我慢強さが仇になったのか。


先生の言葉に私はただただ涙が溢れるばかり……。


どうしてあげることも出来ない、親でありながらもそのあまりの無力さに、

心が引き裂かれる思いだった。


こうなってしまっては息子の為に何かできるのは本当にお医者様だけなのだ。




それから2時間……断続的に痙攣は続いた。




痙攣重積である。













幼稚園入園当時から、発熱と気管支炎を繰り返し続けている状態だった。

小児科を一体いくつ変わればいいのだろう……

まさにそんな、手探りの状況にあった。


引っ越して間もなく。

病院の噂もよくわかっていなかった。

しかし、とにかく病院へ行くしか無い……

同じ幼稚園に通うお友達のお母さんに、小児科の評判をうかがった。

わらをもすがる思いだった。



ところが5月から訪れていた、評判がイイという小児科では……

先生がもう熱は出ませんよ……とおっしゃったその日から39度をこえる発熱があった。



……何も、何も治っちゃいない!



お願いだから、この子の呼吸を楽にしてあげて……熱を下げてあげて……

お願いだから、この子の病気を治してあげて……


そんなことを、心の中で何度叫び続けたことだろう。


そんな毎日が続いた。



咳が続くと自分のひざの上に抱いて夜が明けるのを待ち続けた。

それが一番息子の呼吸が楽になるからだった。


いつまでもいつまでも続く長い長い暗闇に

息子の嵐の海のような呼吸が私の耳を、心を、貫く。


眠れぬ夜が続く……

そうこうする内、自身の身体も弱って、そこへ猛然と風邪が襲ってきた。

自ら38度をこえる高熱の中であっても、ひたすら病院に通い続けた。

先生のおっしゃる通りに……。


でもダメだった。



もう、どのお医者様を信じて良いのかわからなくなった。


何故熱が下がらないのか。

どうして完治しないのか。

お薬ばかり飲み続けて。



そして……

とうとう以前住んでいた時にお世話になっていた小児科へ連れて行くことにした。

しかし、車で1時間弱はかかってしまう……。

それでも、もう、そうするしかなかった。



結果、息子は肺炎になっていた。


……何が大丈夫なの?

何がもう熱は出ない?

この子はこんなにひどい状態じゃないの!



赤ちゃんの時からお世話になっていたその先生は

テキパキと診察を行い、レントゲン写真をとり、

いつでも入院できるようにと手配を整えて下さった。

呼吸が楽になるようにと吸入をさせ……

マイコプラズマ肺炎の恐れが無いかの検査も行った。


そして、何より息子の病状をきちんとした説明して下さった。


涙が出るほど嬉しかった。



ああ、信じられる先生がいる……ここにいる!


……そう想うだけで心救われるようだった。


こうして6月の大波は乗り越えたのだった。

6月4日の息子の4才の誕生日は、病気のまま迎えることになってしまったけれど。




しかし……しかし、だ。




熱が下がり、良くなって来ていたように想い始めた7月だった。


再び発熱したのだ。


相変わらずの高熱だ。39度をガンガンこえてくる。

解熱剤も時間の感覚ギリギリ一杯の状態だ。

熱が高すぎて解熱剤が全く効かない。


40度が39度になっても差程意味が無いのだ。


一度それを使えば5〜6時間はあけないといけなくなる……

息子の場合、4時間半でもOKが出た。


しかしその4時間半がこの上もなく長く感じるのだ……。

眠れない……眠れない日が続く……。



息子の胸で鳴る波の音が悲しく耳に響き続ける。

変わってやりたいと心から想うのだけれど。


しかし……

信じる事のできる先生の所はとにかく遠い。

それでもしょうがなかった。


そこしかもう、頼れる場所がなかったから。



そして先生に、心配な時にはいつでも救急病院に行くようにと言われたのだ。














そして……7月11日、夕方5時前の日曜日。

連日続く発熱と咳に、心配で胸が張り裂けそうになっていた。



ここから一番近い救急病院だった。

市から出ているパンフレットのトップにその病院の名前があった。


『○○病院』、あそこへ行った時に、

点滴の1つも打って、一旦熱を下げておけば……

こんなことにはならなかったはず……


これは救急車で運ばれた先の病院の先生が、おしゃっておられた言葉である。


後で知ったことであるが、

その病院は実は悪名高きところだった。



しかし、このことがなかったら、

救急車であの病院へ運ばれていたところだったのだから、

これはこれで良かったと考えるべきなのかもしれない。


(しかし、きちんとしたところで治療を受けていれば、

こんな状態にまでならなかったことを考えると……

本当に悔やまれてならない。)



そしてこの病院のお陰であの夜がやってくることになってしまったのだ。














その凄まじさは息子の前歯が折れてしまうほどだった。



恐ろしい悪魔が息子を2時間もの間、断続的に激しく揺さぶり続けたのだ。


胸の波は激しい嵐の中にあった。


自身の呼吸で乗り切らなければ命は消えてしまう……

小さな小さな胸は、その一息一息が命をつなぐ呼吸であえいでいた。


消えてしまいそうな命を、自分の呼吸で懸命につないでいる息子を……

病院の詰め所で主人と2人、待ち続けた。

側にいてやることさえも出来、いや、許してもらえないのだ……

何とも無力な両親であった。

心の中で、何度神様に叫んだことだろう。



この命をあの子にあげて。

自分はどうなってもイイ……あの子を助けて、と。




「何かありましたら、すぐにお知らせに参りますので、詰め所でお待ち下さい。」


看護婦さんのその言葉が、心の中で何度も何度もリピートする。


長い夜にこだまする、看護婦さんの靴音に

何度心臓をえぐられそうな思いをしただろうか。

その靴音が扉の前を駆け抜けていくたび、命が削られて行くようだった。



早く、早く。

この闇を、切り裂く光に満ちあふれて欲しいと……祈り続けた夜。


自分の命は奪われてもいい……

ただ、息子の命だけは持って行かないでと

神に祈り続けた、夜。


切り裂かれた小さな息子の服を抱き締め続けた。


……これしか、今の私の手の中に、息子のものは何も無かったからだ。














to be contined......
(『神様がクレタ命、それはボクの命。』へ)



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♪『tomorrow』 (C) kojima.kant





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